双極性とお友達。

双極性障害Ⅱ型と付き合う、日々の暮らし。

いつから始まった!?わたしの振り返り。④

そろそろ飽きてきた方もいらっしゃるかもしれませんが…

自分の記録でもあるので、お付き合いいただければと思います。

 

大学生になって、アルバイトを始めます。

最初は歯科助手のバイトだけしていました。

で、次は歯科助手のバイトをしつつ、主に特番のADをしてました。

一番大変だったのは…昨年くらいから復活したナンチャラワングランプリ。

司会の女優さんに翻弄された記憶が;;

この時期も、過活動だったのかなぁ。

 

学校と現場の往復

あとは、大学生は休みが多いので、そこをうまく使いました。

あとは、先輩とサークルを立ち上げる。

1年目の学祭、今はフリーアナウンサーのコジマケイコさんの講演。

母校であることをもとに、アプローチ。当時はTBSのアナウンサーさんでした。

 

2年目の学祭、大学近くに本社を置く美容室さんとマックスファクターのトップメイクアップアーティストさんの講演。

本当は、SHUUEMURAさんとお話が進んでいたのですがとん挫。

ロレアルグループとは、他のサークルのメンバーが所属するゼミの教授とご縁があり、

授業でも来て頂いてることもあって話は進んだけれどスケジュールの関係でなくなる。

(ちなみに、この授業はマーケティングの授業で、毎回いろんな会社の方が講義に来られ、お土産があることも。ロレアルの社長さんが来られるときは化粧品セットが配られる(1.5万円相当はある)のでその日だけは異常に受講率が高い)

 

学祭終了を機に、引退。

打ち上げかねての飲み会で、これから就活に向かう私たちにプレゼントと

「負けないで」の替え歌で応援をしてくれ、私は大号泣。

周りがびっくりしてました。まさか私が泣くとはと。

サークルは2個上の先輩と立ち上げ

コジマケイコさんの時に奔走してくれたものの

それからはほぼノータッチというか、就活もあったので早々に姿をけし

上にも下にも引っ張っていかないといけないという重責もありました。

いつも怒ってばかりだったと思います。

でも、特に一年下の後輩たちにはとくに、怖くてとっつきにくい先輩だったように思います。本当なら、何も知らないお嬢様ばかりの大学でしたから

一から十までとはいかなくても、それなりに教えて育てなければいけませんでした。

でも、それが出来なかった。それは今でも悔やんでます。

2個下の子たちはそれなりの余裕があったので、いろんな所へ連れて行き

それなりに経験させた記憶があります。

卒業して、学祭を見に行き一個下の子たちも、2個下の子たちも

しっかりイベントを起こし、頑張っている姿を見れたのが

すごくうれしかったです。

打ち上げの時のプレゼントは、今でも大切に保管しています。

ちなみに、今のサークルの状態は運営者はおらず名前だけ残っているような感じみたいです。

 

んでもって就活

もちろん、「テレビ局志望」

ただ、制作会社の実態を知っていたのでお誘いはあったもののお断り。

結果的には全滅。まあ、学歴の世界でもあるのでよくここまでのこったなとは思いました。

まあ、いろんなご縁が重なり、今の会社に入りました。

 

上手くいっていたような学生生活ですが、

20歳の夏、ODで運ばれています。

そこで、単位をボロボロ落とし始めていたこと、

状態が悪いことが親にばれていきました。