双極性とお友達。

双極性障害Ⅱ型と付き合う、日々の暮らし。

いつから始まった!?わたしの振り返り。⑤

20~22まで、卒業して社会人だった時も

土日に収録があり、頭数足りないとたまに現場にいました。

当時付き合っていた人も年上で業界人。

でも、今思えば才能的にはどうだったのかなと思いますが。。。

 

彼氏の家にいることが多く、自宅には固定電話があったけど

なかなか連絡つかずでケータイに連絡が。

それで、親ぶち切れ&もうあんたなんか知らない。

キレるのは仕方なかったかもしれないけれど、

『もうあんたなんか知らない』

その一言でどうでもよくなり、自宅に戻りOD

父親とは割と仲良くやれてたので、最後にメールを打って

OD開始。

固定電話&ケータイ電話が延々と鳴るものの無視

ひとしきり飲み終えた後、仕方ないので電話に出ると

救急車は自分で呼びなさいと。

地元からは当然のごとく管轄外なので呼べるはずもない。

でも、こっちは呼ぶ気もないしどんどん意識はなくなる。

なんか言われて仕方なく指示に従って行動。

飲んだ薬はおそらく300錠以上。いろんな類でちゃんぽん状態。

鍵もあけて、薬の入っていたものをすべて渡した記憶もある。

階段を抱きかかえられるように降りて、1Fにストレッチャーに乗せられる

飲んだ薬の数を救急隊員が救急車の中で数えていた記憶はある。

すぐに運ばれ、病院の救急でストレッチャーから処置台にうつされた。

次の記憶は、深夜に個室で目が覚めた。

次の朝、兄が迎えに来て着替え等を取りに戻り

そのまま実家へ強制送還。

タイミング悪く、兄貴は地元の彼女のところにいた。

(なので、彼女に妹が病人であることはバレただろう)

それから3日くらいは意識はもうろうとしていた。

親も親だが、そんな状態で大学をどうするのか聞いてきた

もちろん、大学を卒業しなければ親のメンツもたたない

そんなときまで親かよと、今となっては思うが

子供なりに必死だったのか?

結果、大学はやめずにしばらく母親が上京。

それから1か月後に親戚に不幸があり、地元に帰った。

 

そんなことがあって、しばらくたってから

大学祭に来たことなかった親が、一度見てみたいという発言をし、

来年にはいこうと思うといわれた時、

だったら今年きてほしい。

サークル立ち上げて、私が企画書書いて

スポンサーも探してやるからと。

 

その時の私を見て両親はびっくりしていた。

ODの後とは思えなかったこともあるだろう。

そして、兄の結婚もきまっていたので

私の住むマンションも決めて、休憩時間に話を聞いた。

家賃は高いけど、新築のオートロック

何より大学に近い。

別に、私はこだわりはなかったし、お金出すのは親なわけで

親が良ければそれでいいと思った。

 

振り返れば、過活動期だったのかもしれないし、

でも、楽しかった。

自分の想いが、形になっていくことが。

 

大学は、診断書をいろんな先生に出し、

課題をもらったり、その場で話をしたりして

成績は良くなかったけど、結果的には単位は必要以上にあった。

そしてそのまま、社会人となる。