双極性とお友達。

双極性障害Ⅱ型と付き合う、日々の暮らし。

いつから始まった!?わたしの振り返り。⑥

無事に?入社し、始まった新人研修。

最初は、グループ会社全部の新人を集めた

合同の研修

自社に戻り、文系の私にとっては難題が降りかかってきます。

自己紹介用のHPを作ることが課題。

このころから、少しづつ休みがちに。

 

みんなでワイワイやってる分にはよかったし、

先輩社員の方々は私の惨状でも根気強く教えてくださいました。

そして配属。ここから狂い始めました。

「教育担当の先輩社員とうまくコミュニケーションが取れない」

最初の配属は、制作部門。

ここでも、HPを作ることが課題。

それはいいとしても、教えてもらいたいのに

教えてくださいと言えない空気。

隣に座っていた派遣の方が、それを見かねて教えてくれたり。

結果、過去最高記録をたたき出した、後に交際者となる先輩が間に入り、

何とかしようとしてくれた。

はっきり言って、私の担当の先輩社員は

教えるとか、そうゆうことが不向きな性格

今でこそ、普通で話せるけど

当時は・・・結果的に入社した年の8月に1か月の休職。

そんなこんなで10月の定期人事で制作からディレクターのポジションへ。

そして、任された仕事が初めて本番化することに。

直前まで開発側が手を入れていたため、検証をすすめながらの作業

この時事件が起こります。

新入社員、初めての仕事。ここまでは別に問題ない。

でも、その日に本番化することをわかっていた同じ品目担当の方は休み。

しかも有給で、計画休。

私、休んだ先輩、リーダー

この三人でいろいろと進めていた案件は多かった。

本番直前に少し休憩と思ったところ、立ちくらみで倒れる。

やはり、事前まで検証をしないといけなかったことは大きいが

有給を許した上司も上司だし、休んだ方もわかってて休んでる。

失敗すれば事故になる。追い詰められていった果ての立ちくらみ。

当時の上司の罵声を浴びた。いいから帰れと

タクシーチケットを渡された。

上司は帰れの一点張り

でも、検証は続けなければ間に合わない

引き継ぐにしても時間はかかる。その間も罵声は止まらない。

弱い私も悪い、でも罵声はすごかった。

あとで聞いた話だが、別の先輩が私が帰った後に

罵声を浴びせた上司に対し、会議室に呼び出し、

あれはないんじゃないかなど、抗議してくれたとのこと。

 

おそらく、このことが引き金で体調を崩し

別拠点の仕事に飛ばされたが、そこも続かずに

約2年の休職生活が始まる。

実家に戻り、療養の日々。

薬も抜いて、立つのがやっとな日々が続いた。

戻った当初は何もできず寝てるだけ

ご飯の時だけ起き、ついでにネットで少し見ることくらいはできるようになった。

その時に、もしかして?と、思う病状があり

地元の大学病院へ駆け込んだ。

 

そこで初めて、「双極性感情障害」と診断された。

パキシル攻めのせいで記憶力がなくなった。

瞳孔の反射能力も悪くなった。

いわゆる誤診。見つかるまで、10年かかったことになった。

先生は優しかった。今までよく頑張ってきたねといわれ

泣いた。

しばらくはその先生にお世話になったが、

先生が体調を壊し復帰するまで時間がかかるとのことで、

前から希望していた専門の先生に変わった。

でも、このころは既に復職した後だったけど

薬だけは母がもらいに行き、郵送されていた。

なので、実際顔を合わせたのは1度くらいな気がする。

それから、産業医との戦いがあり、仕方なく今の病院へ転院

そして今に至る。転院した病院は規則が若干厳しかった。

しかも、1年くらいで担当医は変わる。

引継ぎはもちろんあるだろうが、患者としてはちょっとしんどい。

しかし、その病院にかかった時に

「医師を変えることはできない、変わりたいなら他の病院へ行け」

というような文言の入った誓約書をかかされている

自立支援の関係もあるし、結局病院の言いなり。

特に今の担当医はしっくりこない。

でも、薬を飲まなければどうにかなってしまうので

薬だけもらうという思考に転換し、諦めて通っている。