双極性とお友達。

双極性障害Ⅱ型と付き合う、日々の暮らし。

いっそのこと

誰にも目に留まることもなく、

それこそ空気のような見えない存在で生きてこれたら

病気になることも、生きていることもなかったのではないかと思う。

 

つい最近、頂き物をなくした。

必死に探しているが、出てくる気配がない。

最後の記憶は、もともとの金属アレルギーのせいで

使うことができなくなり、お財布にいれたところ。

特に平日は、お財布を開くことはほとんどない。

自販機で飲み物を買うにも、食堂での代金の払うのも

すべて社員証で賄うから。

 

もちろん、頂き物なので

謝らなければならず、連絡した。

帰ってきた言葉は、冷たいんだか暖かいんだかわからない言葉だったけど

私が一方的に悪い。

それは変わらない。

 

所有権はそっちになるのだから、煮るなり焼くなりされても構わない

極端かもしれないけど、そんな感じの返事だった。

 

 

暖かいところがあることも知ってる、でもそれ以上にドライというか冷たいところがあることもわかってた。

一人でいることを好み、やり取りする中で、

別れの前触れ?を予期するようなこともあった(読みようによればだが)

 

年収がいくらだとか、どう生活してるのかとかはさっぱりしらない。

知る必要もない。

でも、頂いたものはその人が働いた対価であることは間違いない。

そんなこんなもありつつ、使用していた。

金属アレルギーがあることはたぶん、彼も認識はあると思う。

いつか、そうなるかもと思いつつもプレゼントをもらった。

シルバーのアクセサリー。

正直なとこを言うと、いつかこうなることもわかってたけど、

その気持ちが嬉しかった、シルバーであることはわかってたけど

他の材質にはしなかった。

昔みたいにアクセサリーが買えてたら、こうなることもいずれ・・・なので

購入はしなかったかも?しれなかったけど

 

私の金属アレルギーは、「シルバー・金」が特にひどく、

残されているとしたらプラチナかルベドくらい

そうなると、頂いたものの金額には何倍にもなってしまうので

無理だろうなってどこかで判断していた。

モノ自体も、おとなし目を選び、ブランド的に言えば

私の年齢では卒業しているブランドだったけど

そんなぜいたくは言えないし。

気持ちを頂けたことが、何よりうれしかった。

(本人的にはどうかしらないけど)

 

 話は変わるけど

ここ数か月、口内炎や右側の頬のなかに違和感を感じている。

調べてみると、悪化するとがんになる可能性が高いそうだ。

口内炎も痛いし右の頬の中も普通にしていて噛んでしまうくらいの厚み

正直悪化して、末期くらいになってくれないかなって思う。

そうすれば、自ら人に迷惑をかけずに生きる道がなくなるから。

親が出てきた手前、例えATM化しても働かなければならない。

仕方ないねとなるみちができるわけである。

 

 

いっぱい泣いた。

なので、朝顔を洗うとき自分の顔を見てどうしようってなった。

 

いまは、広い家に引っ越して初めての一人と一匹暮らし

いろんなことが頭をよぎり、たえられなくなった。

 

実家が実家じゃなくなる日が、刻一刻と近づいてる

車も処分して

実家の固定電話も解約して

ライフラインも全部切る。

 

誰も住めなくなる。

私がそこまで両親を追いやった。

老後を、私のためにつぶした。

今働けるのなら、親は一生いるわけではないし

順当に行けば、私は一人っ子ではないけど一人になる。

そんなときに、例えば少しでも多く年金がもらえるようにとか

先々のことを考えて、今、動いたのだ。

自分たちも年老いていく。できることも少なくなる

私が元気になれば戻るからと。

 

でもそれは、大きな病気もないし

今だからできることをやってくれるということだ。

歳をとれば、病気も増えるだろう。

そうなれば、基本的に東京に拠点があるため

わざわざ地元の病院に行く必要もない。

 

もちろん、老後は私が見る

(多少は兄にも手伝ってもらわないといけないけど)

これはきっと決定事項。

まだ二人とも60代。そうはいってもまだ若いとは言い切れない。

何があるかは、わからないから。

 

眠ればまた朝が来る

また耐え難い思いがわく日々

家族がいることの大切さも身に染みる。

どうやって、生きていかなければいかないのだろうか…

先週のこと。

我が家で飼っているモルモットが体調を崩した。

でも、我が家の今までの経験から、無理に病院へ行ってストレスをかけたり、

強制給仕になることはできるだけ避けたいという思いもあり

様子を見ながら過ごした一週間だった。

ペレットも、チモシーも食い意地の張っているモルだったので

まったく食べないことに頭を抱えてた。

もちろん何も食べないので、排せつもしない。

万が一のことを考えて、強制給仕用のシリンジも買った。

まずは、モル自身が食べることに対して興味を持たなければ、

命もない。

色々調べると、モルモットは2枚舌で強制給仕はかなり難しそうだった。

結果的には、食欲も戻り、排せつも多くなり

少しやせたけど、いつも通りの食いしん坊に戻った。

ここまでくればもう安心。

 

だがしかし、私まで食欲がなくなった…

朝夕の食事は父が用意してくれているので何とか食べるけど

結局はいてしまう回数が増えつつある。

今日のお昼は、いつも食べてる相方に

ご飯のにおいだけでも気持ち悪くなるので、申し訳ないが一人でとお願い。

食欲増進というか、太りやすくなる薬のせいでかなりぽっちゃり体型な私

いいダイエットになるかはわからないけど、体重自体は減ってない。

おとといの夕食は、完全NGで、私の好物を用意してくれたけど

食べきれなかった。

昨日は最低限は食べたけど、こっそり吐く羽目になった。

 

おなかがすかないわけじゃないんだけど、食べ物を見ると…

別に、妊娠したわけでもなく本当にごはんが受け付けられない。

父親もあの手この手で食べさしてくれるけど、申し訳ない結果待っている

モルの体調不良になった原因もわからないけど、

私の体調不良の原因もわからない。

太りたくはないけど、原因がわからない…

 

時代もあるけど、今更もあるけどね。

前に、母は兄を医者にしたかったという書き込みをしました。

 

つい最近、何かの記事で医大への進学について書いてあったのを目にしました。

ふたを開けてみないとわからにことって、やっぱりたくさんあるんだなって。

 

先日のセンター試験があったからかもしれませんが

特に私立の医大について書いてありました。

確かに、国公立よりは比べ物にならないくらい高いのは確か。

でも、いろんな制度があって、奨学金や学資ローンについて書いてありました。

 

私のセンター試験の結果を知ってるのは私だけ。

センター利用だったり、その大学の入試に関して言えば

医学部に進学できることも夢ではなかったようです。

まあ、医者になったところで、15歳で病気を発症してるから

何処かでつまずいた可能性は高いけど。

 

私のいった大学は、学力こそいわゆるMARCHよりは下。

でも、まあ、名前だけは抜群に受けはいい。

だからかもしれないけど、文系にしたらかなり高めの学費。

 

親が兄貴の理系から文転することをどこで許した?かはわからないけど

2浪して、自分のあこがれの大学に進学した。

私立と言えばここかあそこかが最初に出てくるところ。

劣等感満載の私は、高校受験の想いでもあるし、浪人は絶対にしないと

心に決めていた。結果、浪人はしていない。

でも、体が悲鳴を上げ、せめて名前だけでもと推薦枠でどこを狙うか絞った。

でも、本当は、実績から行くと落ちる枠で

落ちて、センターに向けて気合を入れなおそうと思っていた。

だが、受かってしまった。運が良かった部分はかなりある。

推薦には珍しく、2段階選抜だった。

1次は小論文、2次は面接。

小論文は苦手だった要約がなく、普通に書けばよかったし、

テーマもたまたま捕鯨の町に育った私と

ちょうど、そのサミット的なものが開催されていたので

すらすら書けた。

1次合格通知から2次の面接。

世界情勢があまり良くなく、まあ、国際コミュニケーション学科というくらいだから

高校が仏教系だったし、仏教徒としてどう思いますか?的な質問。

こちらも、質問の方向性があったので楽だった。

なので合格してしまった。

・・・そしてこれは「専願」の推薦枠。

高校も、合格を蹴ることは許されないので進学決定。

 

一応、親の願いもあっただろうし

自衛隊と防衛医科大学は受けた。

10月くらいにセンター試験は申し込むので

センター試験も受けた

 

どうせなら、どっかの私立の医学部でもうけときゃよかったというのは後の祭りだけど

まあ、そんなことを言っても仕方ない。

でも、最近目にした記事からしても、苦しいかもしれないけど

行けたのかもしれないなと思ってしまった。

 

今朝、うちの近くの某施設で入試があったようなのか?

出勤する通り道にたくさんの予備校とか塾の人が立っていた。

中学から高校へはもちろん普通科ではないところもあるけど

基本的に、あまり人生を左右されるようなことって少ないように思える。

でも、大学受験はそうはいかない。

 

本当は、ゲノム解析ができるような学科に行きたかった。

なので、実際に行った学校とあと二つに推薦枠は絞っていた。

でも、あえて厳しい道を選んだつもりが、安易な方向へ転がってしまった。。

 

後悔はないけど、ちょっと気になる事件でした。

遅くなりましたが…

謹賀新年。

 

また、父娘の生活が始まりました。

(母は用事があるため帰宅)

 

 

母が帰った日、父と二人で外食。

今が一番幸せかもしれないと、一言言ってしまった。

 

本当は、お兄ちゃんを医者にしたかった(母が)事も知っていたとか

その波や家庭環境が私の体をこんな風にしたことも。

いろいろ話した。

 

再婚もできないだろうし、

一人で、お兄ちゃんには最低限の迷惑しかかけないようにして

生きていくつもりだということも話した。

でも正直、今は親がいるから気を張っていられるかもしれないけれど

親の介護が始まったり、私が歳を重ねるように

親だって年老いていく。

一人で生きていく強さなんて、正直ない。

複雑な環境の中でも、再婚ができるのなら、

したいとは思う。

でも、今更探すのも少々めんどくさいし

かといって今の人とはそんなこともないだろう。。。

 

もう一度、家族だけでいいから

きちんとした式を挙げてみたい。

ドレスや着物がなくてもいい。

袈裟でいい。

でも、これはもう叶わないんだろうなぁ。

 

子供は産めないしバツイチだし…

スペックはマイナスだらけ。

はぁ・・・

年の瀬

年の瀬となりました。

ブログは初めて間もないし、病気のこともあられもなく書いているので

諸事情により知っている人は数少ないです。

 

昨日で、おそらく7年間住んだ部屋を去ることになりました。

いい時も、悪いときも、思い出いっぱいの部屋。

寂しいけど、これが現実なんだなと思うと涙も出たり。

 

今の彼氏さんと過ごした思い出は、

きっとかけがえのない思い出になるし

忙しい彼にとっては役にたったかどうかわからないけど

会うときは、仕事終わりでおうちでお泊り翌日出社していました。

会話はなくても、いびきはひどかったけどww

それでも近くにいてくれる暖かさは何物にも代えがたいぬくもりです。

 

両親には感謝してるけど、

これから先が不安です。

沸点のわからない母、

少し理解のある父。

事情を接して気を使う彼。

ストレスいっぱいな職場。

 

来年が良き年になることを祈ってます。

 

皆様におかれましても

冷え込む冬になりましたし、お体にはお気を付けくださいませ。

今年の更新は、これが最後の可能性がありますので

来年も、よろしくお願いいたします。

アマゾンでいっぱい買いものした!

けど、私の物ではありません。

長々と長引かせていた彼氏さんへの誕生日プレゼント

(お礼も兼ねてるけど、それだけじゃ全然足りないけどね…)

 

欲しいものないの?って打診してたけど

なかなか返事がなくて、わたしもいつお金の不自由が始まるか不安だったので

急かすようだったけど、ずらっと欲しいもの(身近なものばかりだったけど)

一括購入。

予算より低い金額で収まったけど、また何かあれば、追加歓迎って言いました。

 

ちょっとだけほっとした。

 

あとは、1/6に来るかもしれない舞台のチケットのお金周りが完了したら、

家用の通帳と私用の通帳で振り分けして、毎月もらうおこずかいの運用をします。

月々2万円、ボーナス加算で総支給額の一割。

だいたい年間で30万くらいが自由になるお金。

年間で出るお金は決まっているのでボチボチためながら頑張ろうかと思います。